日本の温浴の歴史

温浴の古今東西

 ギリシャの詩人ホメロスの作と伝えられる叙事詩『オデュッセイヤー』の中に、老人の楽しみは……湯に入って…食事をしてから…柔らかなベッドに横になること……という描写があります。確かにこれは最高の極楽気分でしょうね。

 ホメロスは紀元前900年頃に生まれたとされる盲目の詩人。

 更に世界史を繙いて、人類と湯浴のかかわりの歴史を探ってみると、なんと紀元前2300~1800年のインダス文明にまで到達します。

 では、日本の湯浴の歴史は、いつ頃から始まったのでしょうか?

 日本は火山国ですから“遠い神代の昔”から何か温泉物語でも…といろいろ調べてみたのですが、残念ながら、古事記以前の事はほとんど不明。

 その代わりと言って良いかどうか…日本には、湯にドンブリコと入る湯浴のほかに、独特の蒸気風呂・竈風呂(石風呂)など、三つの楽しみ方が、1500年もの昔から伝承されていました。

 テルメの窯風呂は、京の都に近い八瀬の里に、古くから伝わった土竈式系統に属するもので、遥かな歴史を超えて、それを東京小平地に蘇らせたというわけです。

 更に、テルメの洋風浴場のテルマリウムは、古代ローマ時代から受け継がれた洋式の蒸気風呂。

 では、日本式の蒸気風呂は?

日本式温浴

 蒸気風呂の発祥地は中央アジアで、南に下ったものが、インドに入り、仏教に取り込まれ、やがて仏教伝来の流れに乗って極東の国日本にまで到達したとされています。

 また、インドから西に向かったものは、ペルシャ、トルコを経てローマに入ってローマ風呂を生み、北に向かったものは、ロシアに入ってロシア風呂を生み、更に西に向かったものは、フィンランド、スウェーデン、アイルランドを通ってアラスカに渡り、アメリカインディアンの汗浴にまで繋がったとのこと。

 入浴法は、石を焼き、それに水を打ちかけて蒸気(湯気)を発生させ、その湯気の中に身を置き発汗を促すという手立てが主流。

 それなのに……・

 何故か日本では、焼石に水という手立ては定着しませんでした。

 仏教伝来を契機にした、大和朝廷時代から奈良時代への大変革の流れの中で日本人が考え出した蒸気風呂は、極めて独創的な日本式蒸気風呂でした。

 奈良時代(710~784年)国家鎮護を祈念して、諸国に、国分寺・国分尼寺を建立したり、東大寺の大仏鋳造を熱心に進められたことなどで知られる聖武天皇(在位724~749年)の皇后(光明皇后)が自ら奉仕の任に当たられたという『施浴』(東大寺縁起絵巻所載)。

 それは、釜場に設置した大釜で湯を沸かし、発生した蒸気を釜場に繋がる湯殿(別室)に送り込む仕掛けが工夫されており、しかも、湯殿の床は「簣の子張り」になっていて、送られて来た蒸気はその簣の子張りの板の隙間から立ちのぼって湯殿の中に…という配慮まで施されいた日本式蒸気風呂で、入浴者は、浴衣(ゆかたびら)を身にまとい、湯殿内に立ちのぼる蒸気の中に身をおいて、存分に蒸気浴を楽しむ、というものでした。

 この方式の蒸気風呂は各地の寺院を手始めとして、やがて国中に広がりを見せました。

八瀬の竈風呂
八瀬の竈風呂

 テルメの窯風呂の源である「八瀬の竈風呂」は土で塗り固めた竈の焚口から、青い松葉など常緑樹の枝葉を入れて焚き、燃え尽きた頃に灰を焚口から掻き出した後、竈の中の、石敷きの床の上に筵を敷き、その上に塩水を打つ……という手順で下準備完了。

 入浴者は、浴衣か布を身に纏い焚口から身を屈めて竈の中に入り木枕で横たわって、生木から発散した蒸気の中で汗を流す…という仕掛けの蒸気風呂です。

 更に瀬戸内海の各地、讃岐の国や阿波の国、伊豫の国、安芸の国などに、行基菩薩や弘法大師の手で造られたと伝えられる石風呂も窯の中で「海藻類」を燃やしてという違いはありますが、竈風呂と同じ蒸気風呂の仲間です。

江戸の「風呂屋」と「湯屋」

 私たちは、日常生活の中で「お風呂に入る」とか「お風呂屋さんへ行ってくる」という言葉を、何のためらいもなく使っていますね。でも、「風呂」は、元来は蒸気風呂・蒸気浴のことで、蒸気浴の出来る施設を備えた所が「風呂屋」。ドンブリコと湯の中に身体を浸すのは「湯浴(ゆあみ)」で、その施設を備えた所は「湯屋」。江戸時代の中頃までこの両者間には明らかな区別があったのです。

 江戸中期の正徳五年(1715年)の『京都御役所向大覚書』という調査書の中に、洛中、洛外の「風呂屋」「湯屋」の数が報告されています。

湯屋数 居風呂 中湯屋数 鹽風呂数 竈風呂数
洛中 五十八軒 十二軒 十三軒 五軒 八軒
洛外 十三軒 二十三軒 一軒 十六軒

但し年により増減有之候(※洛外竈風呂の数は城門愛宕郡八瀬村のもの)

この報告書によって、今から300年ほど前の時代、日本にはさまざまな「風呂文化」「湯屋文化」が花開いていたことが読み取れます。

………ということで、今回の温泉物語は、チョチョンガ チョン。

さて、次回は、どんな物語をお届け致しましょうか?八瀬の竈風呂に関するお話を、少し詳しくしてみましょうか。

……では……

著者:宇津木元

著者紹介:

宇津木元(うつぎ はじめ)。長野県生まれの劇作家。劇作家・脚本家阿木翁助の門下生。NHK・広告代理店㈱電通を舞台に、音声及び映像のシナリオライター&ディレクターとして活躍。国際教育映画コンクール・東欧圏映像コンクール・日本産業映画祭などで金賞・銀賞・特別賞受賞。著書に、人物史で綴った児童向け歴史副読本「明日を築いた人々」、自伝「昭和ヒトケタの青春“予科練卒業かつぎ屋一年生”」など。