シュワシュワとやわらかな気泡で心地よく包んでくれる夢のようなお風呂、「炭酸泉」。
今でこそ温浴施設に限らず、スポーツジムなどでも広く愛用されていますが、普及し始めたのは本当に最近の事...。
いったいどこから湧いてきたンでしょうか?
「炭酸泉」には人工と天然のものと二種類あります、日本の「炭酸泉」の殆どは人工のものです。療養効果の期待できる高濃度の炭酸ガスをお湯に溶け込ませる技術が生まれたのをきっかけに、わずかにこの十数年で「炭酸泉」は日本中に広まったのです。
前回は西洋からはるばる日本へとお嫁入りしてきた歴史と医学の結晶「テルマリウム」についてお話しましたね。今回紹介する「炭酸泉」もヨーロッパに大変馴染みの深いものなんです。
せっかくですからこの機会にすこーし脱線。あらためてヨーロッパの温泉文化をひもといてみましょう。
とはいっても、そもそも西洋では普段あんまり湯船にさえ入らないんじゃないの...
それなのに温泉文化とは?...と仰る方々。
実はホントにその通り!
西洋では普段シャワーを中心に使いますので、確かに日本に比べ湯船に浸かる習慣は余り無いと言えます。しかし、その割に古代ローマ人はカラカラ浴場など大がかりな入浴施設を建てたり、ヨーロッパ各地いたるところに温泉施設をつくったりと、いったいお風呂好きなのかそうでないのか...。
ギリシャでは特に冷浴が好まれたと言いますが、英雄オデュッセウスが温浴する場面などにもありますよう、温浴の習慣がなかったわけではありません。ただ温浴は贅沢で退廃的であると捉える風習が幾らかあったようです。
紀元前五世紀頃には温泉や鉱泉を活用し、治癒神の神殿に併設して温泉施設が各地に建てられ、現代ヨーロッパの温泉保養地同様、劇場など様々の娯楽施設の併設した湯治場として発展してゆきます。
ではお待ちかね、お風呂大好き古代ローマ人たちのお風呂事情や如何に?
ギリシャ人はあくまで身体を清潔に保つため、闘技などの鍛錬の後に入浴しましたが、ローマ人は純粋に入浴を楽しみ、公共浴場を社交の場として大いに活用しました。公共浴場の中でも規模の大きいものには、前回紹介した「テルマリウム」をはじめ、談話室、運動場、図書室、劇場など、様々の設備が整えられていました。
始めは裕福な個人の贅沢であったお風呂も、紀元前三十三年、無料の公共浴場の完成により人々の生活に素早く浸透し、次第に生活の大部分を占めるようになります。領土を広げてゆく中で、源泉を見つけてはそこに豪奢な公共浴場を建てて...。各地に建てられた浴場の一部は、現在でもヨーロッパの著名な温泉地として残っています。
彼らの浴場は彼らの共和国が栄えると共に規模を増し、国の衰亡と共に廃れてゆきました。国が滅びたのは彼らがお風呂に入り過ぎていたからだと言われてしまうホド。
お風呂はまさに彼らの共和国の歴史そのものなのです。
はてさて、今回の主役「炭酸泉」はいったいどこで登場するのかと心待ちにしてらっしゃる方、実はもうずぅーっと登場しております。
と言いますのも、日本では滅多にお目にかかれない天然の「炭酸泉」ですが、ヨーロッパでは全く珍しくない泉質なのです。ホントに捨てられてしまうほど湧いているそうで(ああ勿体ない!)。
ローマ人が見つけてくれた源泉にも多くの「炭酸泉」が含まれています。入浴のほか飲泉も盛んで、大量生産以前の初期の炭酸飲料水には各地の天然の炭酸水が用いられたりもしました。西洋の人々が我々に比べ炭酸飲料を好むのも、こうした長年に渡る下地があるからなのでしょうね。
古代からヨーロッパ各地で入浴文化が発達していた事はお分かり頂けたと思いますが、どういった事情でこれらが失われてしまったのか。最初の大きな反動を生んだのはキリスト教の台頭でした。
困窮の中で培われてきた禁欲的なキリスト教文化が贅沢で快楽的なローマ文化を敵視するのは当然の流れで、贅の限りを尽したローマ式入浴は勿論、入浴行為そのものが悪習として廃れます。
その後、現代に至るまでヨーロッパは数世紀毎に入浴文化を捨てては建て直すという作業を繰り返します。
古代ローマ共同浴場の遺跡もその度に見直され、再利用されました。十六世紀から十九世紀頃まで続いた前回の入浴衰退期を経て、現在の西洋は再び入浴文化の最盛期に入っております。
じゃあ熱い湯船に浸かる習慣はなんでそれほど復活しなかったの?...
諸説ありますが、十六世紀に発明されたシャワーの普及、また、古代ギリシャから続く「入浴=治療」という思想が根強く残っている事などが挙げられます。ヨーロッパのスパ・リゾートで観光客にも入浴方法をしっかりと守らせる浴場が多いのも元来それが治療を目的としているからなんですね。
さて、今回の本題「炭酸泉」に戻りまして...。
始めに西からのお友達と紹介しましたが、実は西洋だけのものではないのです。
『温泉物語』第一号で文献における温泉の最古の記述が『古事記』にあると紹介したのを覚えてらっしゃいますか?その温泉が「炭酸泉」ではないかという説もあるほど、とても古くから親しみのある温泉なのです。
...なのですが、残念なことに天然の源泉がとっても少ない。日本全国どこでも炭酸泉というぐあいにはいきません。
ここでまた少しカタイお話に入りましょう。
温泉は源泉に含まれる成分の量と湧出時の温度により、普通の水や温度の低い鉱泉から区別されます。その中でも成分量の多いものは、高い療養効果の望める「療養泉」として他の温泉から区別されます。炭酸の場合、日本では水1kg中に250mg以上含むものを「温泉」、更にその中でも1000mg以上含むものを「療養泉」に区分しています。
泉質名が付くのは「療養泉」と認められた源泉に限られますので、「炭酸泉」(正式な泉質名は単純炭酸泉或いは単純二酸化炭素泉ですが)、この泉質名が付くのは、炭酸が1000mg以上溶存する源泉に限られます。
250mg?1000mg?ようするにどれぐらいシュワシュワしてるの?と仰る方々、ご心配なく。ラムネやコーラなどの炭酸飲料が大体3000mg程度の炭酸を含んでいます。1000mgならその三分の一。ラムネを倍量のお湯で薄めて...、まぁ美味しくはないでしょうケド、シュワシュワ具合はそれぐらいのもの。
中には4000mg(!)以上の高濃度の源泉も日本にあります。実際、日本でも炭酸ガスを幾らか含む温泉というのはそんなに珍しいものでもないのです。しかし、一般的に「炭酸泉」と呼ばれる1000mg以上の高濃度の源泉となるとハナシは別で、温泉大国日本の源泉の中でも僅か数パーセントという希少さ。
日本の温泉には何故「炭酸泉」が少ないのか?
水に溶け込んでいる炭酸は加熱されると空気中に放出されてしまいます。当館の炭酸風呂の温度が37度と他の浴槽に比べて少しぬるいのも、炭酸をできるだけ逃がさないため。
温泉大国であると同時に火山大国でもある日本の温泉は源泉温度が高いものが多く、仮に炭酸ガスが成分に含まれていても、湧出する際に殆どの炭酸が抜けてしまいます。ですから、活火山帯に属さない温泉地帯というのが「炭酸泉」にとっての絶好の条件となります。
...ハテ?...どこかで聞いたような...?
そうですドイツです!以前「温泉物語」でも紹介した温泉大国ドイツは、世界有数の炭酸泉大国でもあるんです。
「炭酸泉」は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え症、病後回復期、疲労回復、健康増進の一般的適応症の他、高血圧症、動脈硬化症、きりきず、やけどにもよいとされます。
入浴中に身体の皮膚から炭酸が体内に吸収されることで、毛細血管が開き血流が改善され、心臓への負担が減るのと共に代謝が上昇。身体の中からぽっかぽかという寸法です。
ちょっぴりぬるくてもジンワリ身体を温めてくれる「炭酸泉」、ゆっくりと浸かって身体の芯から温まってください。
では今回はこの辺で...。 ...チョン!
著者:宇津木元